なぜか「ここに人間はいなかった」という仙水の台詞が浮かぶ

石の濁りを取るごとくホモを摂取しつつ、何度目かの「他人と自分の恋愛観や人生など」について考えていた。
いくらAセクを主張したり世間の「婚活」や「絆」や「孤独死嫌だろ?」に唾を吐いてみたりしたところで自分の生命活動が両親の交尾の結果であることや、自分の趣味嗜好が世の人びとの営みの上に成り立っていることに私は負い目があるので私の取るべき行動は基本的に「不快な顔をしつつ黙って見ている、あるいは見ないようにする」のみである。それでも疑問に思うのは、
「君たちがあと何年生きるのか、そこにあと何円必要なのか、具体的な数字は分からないけど大抵の人は100万や200万では済まないだろうね。君たちの手持ちの何枚綴りかの交尾券が、どうしてそこまでの値段だと思い込めるんだい? 僕にはさっぱり分からないよ」(CV.加藤英美里)、だ。自分の身体や精神から削り取ったものを担保に生活をするのはいやだ。かわりに預かるか与えられる他人には現在用がない。私は私の主人でいたい。


うーんでもちょっと甘いな。主に経済面で自分の理想は理想論だ。身体と精神を削りつつ、は現状だってそうか。