見よ!

ごっちゃリーヌ







しかしこの、ケーラーの"Eight Difficult Exersises"はいいあるよ。
「イヤがらせのみで作ったろお前絶対!」という臨時記号に継ぐ臨時記号、イヤな運指、出にくい高音のFis連発、「曲か? これ」という単なるオタマジャクシの混雑に見えていたもの、からだんだん盛り上がりどころや歌いどころが掬い出せたりするのが嬉しい。休憩して他の曲を吹くと、薬指と小指や唇が前より楽に扱えるようになっていることに気付いてびっくりしたりもできる。

「よくわからないかたまりから意味を汲み出す」の喜びって英文を読むのと楽譜見るのと、共通してる。
ふだん出来るだけ人間をやめて反射神経だけで喋りまくっていると、絵や写真や日本語じゃない文章や、非言語のものが切実に肥料として必要になるみたいで、それなのにそれを吸収した感想をまた言語で述べようとしてるのはどういうことかいな? と思うけれど、思えば反射ではないアウトプットを普段はしていないかしないようにしてるのだから別物なのか。
そこにないものの話がしたいし、わからない言葉で話し合いたいし、意味の分からない話がしたい。誰かと喋る価値はそこにこそあると思う。