お前に腐女子が救えるか

リバについて考えると、年々「上とか下とかどっちでもいいよ! ふたりがしあわせなら!」とか寛大なようでいてエゲツないかんじに頬が弛む傾向のあるわたくしですが(なんちゅう書き出しだ)、それでも自分は完全にはリバの人じゃないなと思う瞬間がございまして、それは何でかというとやはり自分の中に「とくに贔屓にしている方を受にまわす」という根幹がまだ残っているからであろうなと。
どのジャンルにおいても自他の妄想のうちに気の毒にも変態の役回りをふられてしまう攻が出てくると思うのだけど、一周回って「ああこいつを酷い目に合わせてやりてえ」となった時に、リバの看板を掲げていると攻受を逆転させた話を書くのが容易な訳です。しかし読み手(私)のやおい基準に「贔屓にしている方を受に回す」があると、読後に悲しい気持ちになってしまう。なぜなら自分の贔屓キャラが「酷い目に合わせているヒドイ奴」になってしまうからです! つらい!


……ここまで書いて飽きてきた、誰か続き書いてくれ
「贔屓キャラを受に回す」とは同時に「(自分を攻キャラに投影し)」というオマケがついてくるのも関係しとるはず。リバの人っつーのはそこが完璧に第三者になれとる訳で、そこまで解脱できとらん場合にモヤモヤが発生してしまう。ただどちらがヲタとして上位かという考えはやめような!