頭が良くなりたい

文末を「(笑)」や顔文字や絵文字で締めることによって文章の帰結や感情を非言語で伝え合う事が出来るようになり、コミュニケーション速度は上がったかもしれないが、思考する行為を省き続けることで頭は確実に悪くなったと思う。時々はまともな文章でアウトプットするようにしておきたい。あと鍛えたいのは質問力。
今読み返している「半島を出よ」で、日本の新聞記者はろくな質問ができない、というくだりがある。全国紙の記者なのに、「質問」というと、分かりきったことを確認することしかできない。反対に、質問を受ける側の日本の政治家も「テロリストの要求は受け入れられない」などと返すが、受け入れられないのだからどういう行動に出る、ということは言わないし、そもそもそこまで考えが至っていない。官僚が緊急に集まって会議をするが、何を優先して話し合うべきか分かっていないまま時間が過ぎていく。
「半島を出よ」は、膨大な資料によって「北朝鮮が福岡を制圧する」という物語が大変なリアリティを持っていることにまず衝撃を受けるが、武器や北朝鮮の兵士やヤドクガエルの資料だけでこのリアリティが裏付けされているのではない。
思考や行動や学ぶことをどんどん怠けている日本人が日常直面している問題があちこちに描かれているせいでこの小説は地続きに思えるのだ。

本書中にこんな文章がある。


  「日本固有の領土に外国の軍隊が攻め入ってきたという経験がない。(略)経験がないためにどうすればいいのかわからなかった、それが案外真実ではないのか。そしてそれは国際的に愚かだと評価されるのだろうか。何十回と侵攻された歴史を持つ国のほうが貴重な経験をしているということで優れているのだろうか」


本書がノンフィクションではなく近未来SFとして存在している点に私は希望を感じる。起こり得て欲しくない事態を避ける為の知恵や知識や想像力だろう。
大学生の時、ゼミで「何か質問はありませんか」と言われると辛かった。全員が絶対に意見を言わねばならない授業が苦痛だった。言いたい事もなければ、不思議に思う点もなかったし、何も聞きたくなかったし知りたくなかった。頭を動かすのが嫌になり、連動するように体も太っていった。大学をやめて働くようになって、「もう難しい事は考えなくてよくなったのにお金も貰える!」と思って本当にホッとした。でも今は年経る毎に頭が悪くなってゆくのが怖いしバカのままでいたくない。大学での勉強は多分いまでも無理だと思うけれど、この5年で癒着してしまった脳みそを耕したり訓練したりしたい。もっと色んな知識や情報を得て、そこから物事を正確に読み取ったり、ものが言えるようになりたい。

M-1を取った漫才師が漫才をしなくなるように、多くの大学生は内定を取れたら勉強は「あがり」だと思っている。私は両親が一浪して入った大学に現役で入った時点で「あがり」だと思ってしまい、勉強することが嫌で仕方なくなってしまった。その後うまいこと逃げおおせて社会人みたいな顔をしているけれど、大人は、「大人である」という事に甘えて、いくらでも楽ができるし怠けられる。最初は何て楽でいいんだと思っていたけれど、「醜悪」とか「愚か」という単語の意味が真に迫ってきてちょっと頭を使おう、と思い出した。経済状態も世情も不安定で、感情でしか物が考えられない人間ばかりではまずい、とも。物を考えたり、情報を読み取ったり、意見を述べる練習を少しずつしたい。