過ぎてしまったけど一月十七日のことを。

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ついぞトラックバックの仕方が分からなかった。みしろさんごめん…ついったにおけるRTのつもりで。

あまり被害のなかった地域の人間なので、一月十七日に改めて何かを書く・表明することには抵抗があるのだけれど、
みしろさん宅の17日の文章を読んで初めて知った側面があって、ぜひこの記事は残しときたいと思ったのと、それに伴ってすこし。

森博嗣の2008年5月17日[社会]「災害に思うこと」という回の文章も色んな人に読んで欲しい。(モリログの11巻に収録されてるはず)
現在の科学技術で悲劇の多くは防げたはずだということと、「「自然の猛威だからしかたがない」というものでは全然ない」という一文にガンとなった。
この文章は中国大地震のすぐあとに書かれたもので、普段クールな印象のある森博嗣が研究者として悔しい思いを書いているのも印象深かった。


で、自分のこと。
次に地震に遭う時はもう小学生ではない。自分の安全を親に頼る時期は終わったし、今度は逆かもしれない。頼ってくる別の人がいるかもしれない。
技術者でも行政を司る立場でもないふつうの人間が、最低限自分が死なないように、死んでほしくない人に死なれないように、やっておかなければならないことや考えておかなければならないことがある。

「15年も経ったのかよ!」と思う。そう思うのは、地震の起きた瞬間は15年前だったが、あちこちきれいになるのにその後何年もかかって来たのを見てきたからだ。